タグホイヤーと散弾銃

タグホイヤーの腕時計

数年前、学生時代の終わり、社会人になる前に、タグホイヤーの腕時計を買った。ある程度”ちゃんとした時計”としては特に高価でないものの、学生の僕にとっては非常に大きな買い物だった。「これからは、良い時計をつけて、きちんとアイロンのかかったスーツを着て、会社で働くんだ。ついに、いっぱしの社会人だ・・・。」前途は洋洋、自信は満々に腕時計を眺め、心が弾んだ。

脱サラ、移住、ハンターに

それから時が経ち、僕はタグホイヤーを売って、そのお金で散弾銃を買った。「年収ランキング1位の会社を脱サラ、ハンターに」で記したように、僕は会社を辞めてハンターになることを決めた。革靴を脱ぎ、勤め先の名刺を捨て、ヒゲを剃るのを辞めた。東京で借りていたマンションを退去し、紀伊半島・奈良県の真ん中に位置する山村に移住した。地元で昔からずっと猟をやってきたハンターのもとに弟子入りし、畑つきの一戸建てで暮らしている。まだ越してきて数ヶ月だが、僕は今の暮らしをとても気に入っている。

東京に住める幸せ

東京時代の知人の中には、僕の選択を「せっかく掴みかけた成功を、もったいない」という風に受け取る人も少なからずいた。(多くの親しい友人は、良いね、と肯定してくれていて、嬉しく思う。)確かに、東京を離れて田舎に移住することで手放さなくてはならないことは多い。東京では、ある程度のお金を持っていれば、それと引き換えに何だって手に入れることが出来る。物質的な豊かさという点では、少々の地方都市とも比較にならない。世界基準で考えても「TOKYO」の魅力は計り知れず、そこに住めることは途方もないラッキーと言える。僕は東京が好きだし、田舎に移住した今も変わらずにそう思っている。

戻りたいとは、思わない

けれど、今のところ、東京に戻りたいとは思わないし、東京を離れたことが「もったいない」とも考えていない。ハンターという仕事が今の僕のやりたいことであり、やるべきことであるとまず第一に考えているので、その想いに従った今に勝る”成功”は他のどこにもない。住む場所も、手にする道具も、少し前には想像もしていなかったものに変わったが、そこに自由がある限り、ずっと”成功”し続けている。自由とは「自らに由(よ)る」ということだ。簡単に言うようで難しいことだが、簡単に考えれば言うほど難しくはない。

旅するように生きる

「若いうちは都会でバリバリ働きキャリアを積め」とか、「田舎に移住したほうが人生は豊かだ」とか、ライフスタイルの背比べみたいな文言が巷に溢れ、そこには、弾力を失った日常への鬱屈した不満や、身動きの取れなくなった自分への言い聞かせが投影されている。視座の低い観念であって、目指すべき未来はそこに無い。「どう生きるか」「何を信じるか」という、いわば信念みたいなものは、人の気まぐれの寄せ集めによって形作られたものだ。その時々の気まぐれ、または人生のステージに合わせて、柔軟に、旅をするようにライフスタイルを変えてゆけることが、これからの時代における”成功”だと僕は考えている。

自由の記念碑

一昔前の固定観念では「いい歳していつまでも」と揶揄されるか、たしなめられたはずの生き方かもしれないが、これからの日本は大きく変わってゆく。僕らの世代の寿命は100年とも言われ、労働の多くがマシンに取って代わられる。世の風潮や社会のルールが変わるという程度のスケールではない。大変化の時代に、一本芯の通った好き放題を生きてゆきたいものだ、という心意気を込め、タグホイヤーと散弾銃を自由の記念碑に掲ぐ。