鹿肉で生ハム原木を作ったら思わぬ大失敗、の話

ハモン・セラーノをご存じだろうか。

スペインの、豚の後ろ脚を一本まるまる使った生ハムのことだ。スペインのバルに行くと、カウンターの奥に脚そのまんまの生ハムが吊るされている。この、いわゆる「原木」をナイフで薄くそぎ落としては、酒のつまみに食べるのだ。肉の食べ方として、とても絵になるというか、美しい食文化だと思う。何より美味い。

これを鹿の後ろ脚で作ってみようと思い立ち、まずは鹿を一頭獲ってきて後ろ脚を塩漬けにした。飽和するくらいの量の塩をすりこみ、ペット用のトイレシートに包んで冷蔵庫に入れる。ペット用のトイレシートに包むのは、乾燥状態を保ち、細菌の繁殖を防ぐ目的だ。安く手に入り、サイズも手ごろなので便利。これで10日ほど置く。途中で1度、シートを交換。

次に、脚をたらいに入れて、弱い流水を24時間かけ流し、塩抜きを行う。「いったん濃い塩分濃度で塩漬けし、そのあと塩抜きをすることで丁度よい塩加減に仕上げる」というのはハムやベーコン作りの基本的なセオリー。「最初から丁度良い塩分濃度で塩漬けすれば良いのでは?」と思うかもしれないが、それだと塩分の浸透力が弱く、大きい肉の中心まで塩分が届かないのだ。

表面を少し削いで、味見する。「ちょっと薄いかな?」というくらいの塩加減まで塩を抜く。このあと乾燥過程で水分が飛ぶので、塩分が濃縮されて丁度良い味になると思うが、このあたりの加減は何度も試してみないとわからない。

それから、ネットに入れて、外の風で乾燥させる。1月上旬の気温。塩抜きが終わった段階では肉の表面を覆う筋膜が水でふやけてヌルヌルしており、今にも腐ってしまいそうな生々しさがあって少し不安になるのだが、外に干して1週間も経つと表面は乾燥してパリっと締まり、なんだか生ハムに近づいている感じがする。

表面が乾燥したら、燻製を行う。120gのスモークウッドとピートパウダーで。アウトドア用のステンレス燻製器も持っているが、鹿の脚まるまる一本となるとサイズ的に収容不可能なので、即席でダンボールを組み立て、その中に吊るして下から煙をあてる。こうしてみると「燻製器、ダンボールで十分じゃん」と思う。使い捨て出来るから掃除の手間もいらない。

燻製のあとは、再びネットに戻し、外で干して乾燥を続ける。春になって気温が上がる前に水分を飛ばさなくてはならない。十分に水分が飛んでいれば、夏も冷暗所で熟成を続けることができ、1年以上熟成できるらしい。ただし下手に水分が残っていると腐敗する。初めてなので、その見極めが難しい。失敗したらまたやればいいや、という気持ちで、とりあえず干す。

生ハムが風に揺れるバルコニーを時々ちらっと確認しては、生ハムの乾燥を待った。最初のうちは足繁く様子を覗きに行ったものだが、まもなく変化の乏しい生ハムに飽きてくると、とりあえず、気温が上がり始めるまでは目いっぱい乾燥させるつもりでほったらかすことにした。1年がかりで熟成させる気の長い生ハムなので、気長に構えることにする。

やがて季節は春めき始め、徐々に気温が高くなってきた。僕は「そういえば、ここのところ生ハム見てないな」と思い出し、バルコニーに向かった。これ以上気温が高くなると、外で干しては「乾燥しすぎる」と思うし、何より温度が高すぎて腐ってしまう不安があった。日光のあたらない涼しい場所に移動させた方が良いかもしれない。ただ、乾燥が不十分なうちに移動させてしまうのも、それはそれで良くないので、どうしたものか。

などとあれこれ思案していたので、生ハムを見たとき衝撃を受けた。せいぜい「腐ってしまってハエがたかっている」程度の失敗しか想定していなかったので、まさかこういうパターンで来るとは思わなかった。なんと、生ハムの大部分が大きくえぐり取られるように食べられてしまって、乾燥用のネットはチャックが丁寧に開けられていた。獣だ。ネットを破った形跡が無いので、おそらく犯人は器用で賢いサルだと思う。相当嬉しかっただろう。僕は「こう来るか~」と頭をかかえ、初めての生ハムづくりは思わぬ大失敗に終わった。

「失敗の中からも少しは何か得られたら」という名の自暴自棄で、ネットのチャックは開けたままに、赤外線カメラを仕掛けて犯行の瞬間をおさえようと試みた。しかし、何日経っても、犯人が再び姿を現すことはなく、生ハムもそのままの姿でそこにあり続けた。ついにカメラの撮影はあきらめると、今度は「このまま腐るかどうか見てみよう」と思い、ひたすら放置し続けた。あれから数か月が経ち、季節は真夏になったが、今も生ハム(もはや生ハムではなく完全に干からびた肉)に変化はない。臭いもない。虫も一切寄り付かない。肉は、塩漬けして乾燥させれば絶対に腐らないのだ。今回はそれを学ぶことができた、ということにして、そろそろ捨てようと思う。