初めてシカを撃つも
狩猟に興味を持ってから約1年半、奈良県天川村に移住してから約1年、そして初めて罠猟で獲物を仕留めてから半年。ついに、念願の「単独で山に入り、銃で獲物を撃つ」という夢が叶った。
猟期の始まった11月のある日。僕は以前から地図で目星をつけていた山の尾根を歩いていた。
ふと、下方の斜面に目をやると、薄暗い杉林の中に、丸みを帯びた黒い影が見えた。「あれは、輪郭がぼやっとしすぎてて、多分獣じゃないだろう」と思ったが、双眼鏡でのぞいてみた。すると、三段角の生えた大きなオスジカが、地面に首をかがめて草を食べているではないか。薄暗い山で見る獣のシルエットは、想像よりもだいぶぼんやりと見えるようだ。
距離は60-70mくらいだろうか。ゆっくり狙いを定めて狙撃すれば当てられる距離だ。物音を消して、近くの木立にそっと身を隠してから、銃の薬室に鉛のサボット弾を送りこんだ。どうしても「カチリ」という機械音がしてしまうので、これでシカに気づかれはしないかとヒヤヒヤしたが、シカはまだ、のんびり草をはんでいる。片膝を地面について、銃を木に委託して安定させる。
スコープを覗き込むと、照準を合わせる細い十字線の真ん中にシカが映った。まだこちらには気づいていないし、気づく様子もない。「これは絶対にいける!」そう確信し、首の付け根あたりを狙って引き金に指をかけた。
しかし、「これは絶対にいける」と確信したら、興奮してきて、手が震えだしてしまった。射程距離と、止まった標的と、銃の精度を考慮すれば間違いなく当てられるはずなのだが、肝心の手元が定まらない。
「うわぁ、これ撃っていいの?」と思った。法律で定められた手続きを全て踏み、正式な狩猟のライセンスを受け、猟の師匠や本やネットからたくさん学び、この瞬間をずって待って準備してきた。それでも、誰もいない山でスコープ越しに草を食べ続けるシカを前に、正真正銘の野生を目の当たりに、引き金にかけた指に全てがかかっていると思うと、その一瞬に凝縮されたリアリティの重圧は凄まじいものだった。
シカが頭をあげた。こちらに気づいた訳ではないが、何かに気づいたように見えた。「今しかない」と思った。息を止め、一拍おいて、思い切って引き金を引いた。「ダーン」と「ターン」と中間のような、重く乾いた銃声が山に響いた。発砲の反動で一瞬視界からシカが消える。慌てて、シカがいた場所に目をやる。シカは、全速力で駆けていった。外した。
絶対獲れると思ったのに、逃した、悔しい、そう強く思いつつも、僕の手の震えに運良く命を救われたシカのことを思うと、何故か少し、ほっとした。銃声のこだまが止んだ山は、再び静まり返っている。