アナグマを殺し、食べる

初めての殺生について書こう。もちろん、今までには蚊を叩き潰したこともあるし、魚を釣って捌いたこともある。正確な意味での「初めての殺生」ではない。四つ足動物の命に自らの意思で手を下し、その死を見届けた初めての経験という意味だ。

檻のアナグマ

田畑の作物を荒らす“害獣の駆除”として捕獲されたアナグマは、檻の中で小さく震えていた。目の周りの毛が黒いから、つぶらな瞳が影の奥から内気そうに覗き込むようで、余計に可哀想な印象を与える。「どっちみち殺処分になるから、食べてみるかい?」と、捕獲した方から引き受けた檻を軽トラックの荷台に積み込み、山の中の谷川へ向かった。雪がちらつき、気温は氷点下だった。

軽トラックを運転しながら、「山に逃がしても誰も気づかない。生かすも殺すも、こいつの命は僕のコントロールの下にあるんだ」と思った。罪悪感でも、責任や覚悟というものでもない。自然と物事が転がって、たまたま僕のところにバトンが回ってきたというような感じがした。「害獣だから駆除すべきだ」という大義をかざすつもりはない。「アナグマにも生きる権利がある」という理屈もしっくりこない。何も考えずに流れに従うことが一番自然に思えた。

殺し、放血、解体

谷川まで下りて、ゆっくりとした水の流れに檻ごとアナグマを沈めた。アナグマは少しだけ暴れたが、1分ぐらい経つと静かに絶命した。目の当たりにした死は極めて穏やかで、それと対比して、静かに流れる水の音が際立って生き生きと聞こえた。「僕の方はまだ生きている」と、当たり前のことを平穏に思った。

檻を引き上げてから、ぐったりしたアナグマの頚動脈を切り、放血した。アナグマの身体を巡り命を駆っていた鮮血は、川の水と混ざり合って自然に還った。腹を裂いて、内臓を取り出すと、それぞれの臓器はそれぞれの役目を終えて沈黙していた。とりわけ小さな心臓は、体腔の奥でひときわ特別な存在感を主張している。「“ハート”って、そういうことか」としみじみ思った。

内臓と入れ替えに雪を詰めて持ち帰り、頭部を落としてスリングで吊った。皮と皮下脂肪との間にオピネルナイフを入れ、なるべく脂肪を肉に残すように丁寧に剥離する。このアナグマは比較的スリムな体型だったが、それでも筋肉と同じくらいの量の脂を蓄えていた。寒くなると5ヶ月も冬眠するというが、その前に沢山食べて太ったのだろう。長いツメで土を掘り返しエサとなる虫を探し、冬眠の巣穴も自分で掘るようだ。

最高のジビエ、アナグマ

大きく太ったアナグマなど多少臭いがするという話も聞いたことがあるが、放血と冷却を迅速に行ったので、肉は綺麗な色をしていて臭いも全くしない。一般にあまり知られていないが、アナグマは美味しい。“最高のジビエ”と評価する人もいるほどだ。一方、アナグマと似ているタヌキは不味いと聞く。昔の日本ではアナグマとタヌキを同一視していたため、「美味い」と伝わっているタヌキ料理は実はアナグマのことだった、というのは猟師の間で有名な話。

塩を振ってフライパンで焼くと、脂がとけて美味そうな香りがした。シカやイノシシなんかの獲物と比べれば小さいが、殺しから解体までの一通りを行うと結構疲れるものだ。それでも、ゆっくり火が入っていく肉を目の前に、食欲とともに元気が湧いてくる。果物やキノコなんかも沢山食べていたのだろうか、食べてみると豊かな森のイメージが味に広がる。脂身は甘く、胃がもたれるようなしつこさはない。肉は弾力のある固さで、野性味を感じる。これは美味い。